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2008年10月18日 (土)

というわけで何から書こう

金曜日、保坂和志さんと石川忠司さんの対談

始まる前に、質問の時間があったので
念願の「私の作家遍歴」話を伺う
量が多いことと、タイピングよりも校正の方が難しく
校正はプロにしか任せられない作業なので
今は現実的に考えられないと保坂さんが話してくれた
近日中には無理で、数年かかるだろうとのことだけれど
それは復刊することは決定みたいなものなのでそれはそれで良しとしまする

そして、対談開始

まず、石川さまが
保坂さんの世界観の解釈を披露

保坂さんは
悲しいときに雨が降る
というような人と世界が協働する様なことを嫌うけれども
それとは別に保坂さんは自身で
偏頭痛持ちは天候と関係している
ということも書いている
これは一見するとただの矛盾に見えるがそうではなく
保坂さんは世界と人間の連続性を言っているのではないか
とのこと

図に書くと

世界  (壁)  人間
(客観性)    (内面)

が世界と人間の独立性だとすると

世界 ←→ 人間

が世界と人間の協働性になる

で、連続は時間軸が入るので

世界(+人間)  人間(+世界)

となるらしい。後藤も良く分っていないけれど
多分、どちらが世界なのか人間なのか分からないくらいに
ごちゃごちゃに融合していることなのだと思う

考えてみた例
この偏頭痛は天候の性でなってるのか?それとも世界の危機に対するシグナルなのか?
(これで本当に良いのだろうか・・・)


そして石川さまが京都の寺田屋へ見学に行ったときの話
寺田屋事件の寺田屋には未だ壁に当時の刀傷などが残っていて
それを見て石川さまは戦慄を覚えた

のだけれど、あとでネットで検索したら寺田屋は明治に火事で全焼していて
今のあるのはそのレプリカらしい
じゃあ、あの時、ぞくぞくした感情は何なんだ、という話

それについて保坂さん
作品というのは現場にいなかった人を
まさにいたような気分にさせるものだから
偽物でも良いのではないかとの事

例えば、宮沢賢治の研究者が
宮沢賢治の生家に行って、そこで何かのサービスで
宮沢賢治のそっくりさん的な形態模写の名人がいたとしたら
(不可能だけれど、もしそういうデータを揃えられてそういう事ができるとしたら)

その研究者は今までに思いも寄らなかった事を考えてしまったりする
その時、何か新鮮なアイデアが導き出されるのではないか

それならば、それは作品だと思うとのこと

そして石川さまのホラーの話
ストーリーも意味が分からない、オチもあるのかわからないという話と言えば怪談
で、不条理文学的なものを書きたい人はそういうのをよめばいいのでなはないかという話

怪談の例
昨夜、ナスをまたいで通ったら、夢でガマが無数に出てきて命乞いをした

意味が分からない、けれど面白いではないか

そして保坂さんが
この様な話のホラーな部分を抜いたらカフカのようになるんだろうなとのこと

保坂さんの作家論の話
良い物が書けない人にはブロック(障壁)がある

そこに後藤が質問
普通は書けない人は邪魔が入るというのではなく、足りないと言うと思うのですが・・・

すると保坂さん
それは間違っている
書けないとは思考が到達するべき地点にたどり着けないと言うこと
そこを塞ぐブロックに気がつかなければならず
それを取り除かなければいけないとのこと

そしてそれを取り除くには、立ち止まって考えることなのだそうで
そうしないと、そのブロックによってすぐに安易な解答に誘導されてしまうとのこと

そして石川さま
マイルスが参加するミュージシャンのブロックを外していたから聞いてみてとのこと

そして後で聞いた参考資料

マイルス・デイビス
ビッチェズ・ブリュー

ハービー・ハンコック
ヘッドハンターズ

マイルスの時には素晴らしいプレイをしていたのに、ソロだと普通のピアニストになってしまう最たる例だ!!

という事を石川さまが仰ってました
しかし・・・・ビッチェズ・ブリューの参加メンバー

↓ウィキペディアからのコピペ

* マイルス・デイヴィス - トランペット
* ウェイン・ショーター - ソプラノ・サックス
* ベニー・モウピン - バスクラリネット
* ジョン・マクラフリン - エレクトリックギター
* ジョー・ザヴィヌル - エレクトリックピアノ(左チャンネル)
* チック・コリア - エレクトリックピアノ(右チャンネル)
* ラリー・ヤング - エレクトリックピアノ(on「ファラオズ・ダンス」「スパニッシュ・キー」)
* デイヴ・ホランド - エレクトリックベース
* ハーヴェイ・ブルックス - エレクトリックベース
* レニー・ホワイト - ドラム(左チャンネル)
* ジャック・ディジョネット - ドラム(右チャンネル)
* ドン・アライアス - ドラム(on「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」)、コンガ
* ジム・ライリー - パーカッション

ハービー・ハンコックがイナイヨゥ・・・・
因みにヘッドハンターズの演奏者
アマゾンのコピペ

ハービー・ハンコック (アーティスト, 演奏),
ポール・ジャクソン (演奏)
ベニー・モーピン (演奏)
ハービー・メイソン (演奏)
ビル・サマーズ (演奏)

誰も・・・、いや言うまい

Miles Smilesより「Footprints」(しらべたらこの時期にハービ・ハンコックがいたそうです)

ハービー・ハンコック、ヘッドハンターズより「カメレオン」

確かに、マイルスの時はめちゃくちゃなピアノを弾いてるのに
ソロの時はすごく落ち着いてしまっている!
(それにしても聞き比べるとマイルスのぶっ飛びようが半端無いことが分かる)

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コメント

対談のうpありがとう。
すごくおもしろかったようですね。
行きたかったんだけど保坂さんの本まだ読んでなかったので・・・

マイルスは次々と自分の音楽を変化させていったので
演奏のカタチは時代により全くちがっています。
でも常に時代の先端を走り続けた「革命家」だったと思います。
コードからモード奏法への転換を示しjazzにより自由を与え
さらにロックとの垣根を易々と越えてしまった。
でも決してその音楽は芸術性を失うことは無かった。
ですからマイルスのファンは各年齢層にわたっているワケです。
(後藤さんが「カインド・オブ・ブルー」に何故?
と感じるのも当然かもしれません。)

ハンコックについていうなら、「処女航海」や
マイルスやウェイン・ショーターと演ってた頃の
彼がわたしは大好きでした。
でもファンクになってからの彼は
電子楽器に囚われ、コマーシャリズムに流されて
内省的な部分をどんどん失なっていった気がして
好きでなくなりました。

そのように時代と共に音楽は変化しますし
聞く方も変わってゆくものだと思っています。
そして、それは文学にも言えるのではないかと思います。
マイルスのように時代を超え
死して後も読み継がれる作家は
一体、誰なのでしょうか?


投稿: ましゅまま。 | 2008年10月20日 (月) 21時35分

対談面白かったです、でも本の話が主だったので読んでいないと分からないこともあったかもです

60、70年代にリアルタイムでJAZZを聞いていた人の言葉は重みがあります

>死して後も読み継がれる
この問題って新しいから読み継がれるのか
面白いから読み継がれるのかという大きな問題があると思います
現に、モード奏法の新しさは今から聞く人には分からないくらいに現代の音楽には染みこんでいる気もします
でも、マイルスは今聞いても凄い
ということはマイルスは新しいから凄いというわけではなく
他に作品的な何かを持っていて、そしてそれが語り継がれる
時代で色あせない何かなのだろうと思います

投稿: 後藤ゆたか | 2008年10月21日 (火) 05時33分

後藤さんが『kind of blue』の新しさがわかららない、と言ったのは、僕はとても象徴的なできごとであると思った。人が音楽を聴くとはいったいどういうことか、という意味においてである。

『kind of blue』が、その当時どういう驚きをもってむかえられたかというと、僕は生きてないのでこれは想像であるが、といってもこの想像はそれはそうだろう、と言えるものであると思うが、音楽の言葉でなくふつうの言葉で言えば、いままでジャズのなかではまだなかったコンテクストをひとつ付け加えた、ということです。

音楽とは音が横(と縦)に一定時間つみあげられたものなわけですが(これは比喩としてもそうであるし、実際そうであろう)、その『kind of blue』で使われた積みあげ方が今までなかった、ということである。それを僕はいまコンテクストという言い方をしました。そしてその積みあげ方が、ジャズの「モード」(日本語で言うと「旋法」)というものです。

この積みあげ方を後藤さんが驚くことができるには、その条件があります。それは、「それが今までの積みあげ方とちがう」ということがわかる、ということです。それまでのジャズを知っていて、はじめてそれがどういうものであるかわかる、ということです。それではジャズの、あるいは専門的な音楽教育をほどこされていないとそれがわからないではないか、ということは必ずしもなくて、専門的な音楽教育は、基本的には「それ(音楽)を言葉におきかえることができる能力」という意味なので、体験としてそれまで?の濃密なジャズ体験があれば、この『kind of blue』の驚きは可能であるように思う。

すぐれた音楽、あたらしい音楽はその文脈を知らない人にもそのすぐれた加減、新しさはわかるはずだ、という言説を楽観的に信じている人がよくいますがあれは半分嘘です。半分、というのは、感受性が豊かであれば(アイマイな言い方ですみまそん)その肌触りくらいは伝わるだろう、と僕が思っているからです。でも、伝わらないものもあると思います。

それはなにも新しさだけではなく、ある作品があって、その作品がどういう作品であるか、とか、そういうのは、伝わりやすい要素と伝わりにくい要素があると思います。これは音楽には限らないと思います。

例えば音色という要素は伝わりやすいと思います。「今までに聞いたことのない音」は「今までに聴いたことのないつなげ方」よりも直接的なのだと思います。つなげ方は突き詰めていくとたいへん複雑になります。現代音楽はその最たるもんです。だからコンテクストがわからないと音の面白さ、という観点でしか聴くことができません。しかし、「それがほんとうに一部の人にしかわからないくらい複雑である」ということと「それが良いかどうか」はべつであると思います。ある高度な専門的知識を有してはじめて見えてくる地平があると思います。現代音楽は僕はいまでもいちばん刺激的な表現形態であると思っているからです。このことは確信があります。しかしだからと言って商業音楽を「あんなのダメだね」という人は、まったくオカド違いです。今言った意味において、そのセリフはそう言った自分に還ってくるのです。

もっともっと書きたいところですがチャットモンチーを聴きたいので、またいつかお会いした時に話します。

『kind of blue』の「音の積みあげ方」がどう今までと違うのか、も分かりやすく説明します(でも石川さんに聞いたらすぐ解決するでしょう)。「モード」のことです(これは別にそれ自体が新しいということはありません。西洋音楽ではむかしからの方法です。ただ、ジャズでこれをやる、というのが面白みだったのでしょう)。

長くなりましたが、また~

投稿: mkm | 2008年10月25日 (土) 23時47分

長文ありがとうございます
音楽の専門的知識は無いに等しいので
こういうお話は貴重で、参考になります
今度会ったときに、思いっきり語ってください

あと、チャットモンチーを聞くべきなのですね!

投稿: 後藤ゆたか | 2008年10月26日 (日) 09時09分

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