休講中ではあるが我らの現代小説塾の塾長、石川忠司さまの対談があった
対談のお相手は現役作家(引退作家っているのかしら・・)の桜井鈴茂さん
内容は石川さんが桜井さんの小説の面白いところをピックアップし、作者本人のその時の書いたときの様子などを伺いながら
面白い小説を書くにはどうしたらいいかという事を考える対談になった
今回の大事なことのまとめ
◎石川さま
つまらない小説は言葉の可能性を消している
人は日常会話では極限られた言葉しか使っておらず
それでは日常的な思考の枠に捕らわれてしまう
大体、日常使われる言葉はこういうものになる
依頼(~してちょうだい)
許可(わかった)
言い訳(~だったからだ)
これらの言葉で9割の日常会話を形成している
そして人間は環境の奴隷であり統計に負ける
人間は自動機械のように9割は環境によって左右され
自分の意志は1割しかない
それ故に、日常=普段の自分中心の考え=ありきたり
から外れなければ感動は生まれない
思考の中心を自分から外さなければならず
自分の意志が入りすぎ、予定調和になってはいけない
そういうロジックから外れるのが小説の機能とも言える
しかし、自分中心がダメだからと言って世界中心もその枠から出ずに日常的になってしまうので注意
小説は逐語的に状況をかいてはいけない
幾つかの情報を同時に処理する和音が大切であり
逐語的な単音の繋がりでは日常的になってしまう
日常 あれやって→いいよ→これやって→いいよ
◎桜井さん
小説は終りを考えて作ってはいない
それよりも、小説は自分で書いていない感じの中で書いている
言い換えるとキャラが居たらかってにストーリーが進むというか
行くべき場所に勝手に進む
自分はそれをひたすら筆記しているようなものだと思う
ただ、上手く行くべき場所に進むには段階段階の納得のいくかみ合わせが
綺麗にはまっていないといけない
途中で軽い妥協を挟むとその積み重ねで作品が歪み、結果大半がつまらなくなる
そのため、自分が書きやすい書き方をしているときは危険でいつの間にか流されていたりすることが多い
そして、文体も同様に、その場に合わせて書くのが良く
狙って文体から書きはじめるのは自分には合わない
遅筆になるが、このやり方は割合うまくいく場合が多い
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そして、小説は偉人を書けないという話になり
二人が意見を交わす
◎桜井さん
小説は小さな声なき声を表に出すのが仕事だと思う
駄目な人間を書き残すという、世界の最後のセーフティーネットなのではないか
◎石川さま
最近、思ったのはまともな不幸も金がないと買えないんじゃないかという事で
イギリスの本場のパンクは貧乏な人間がそのボロボロのTシャツや生活を美に転換したけれど
日本でそれをすると格好が付かず。結局、山の手の金がある人間が着ることで箔がつく物になった
美とはイギリスの本場のパンクのように
何の前提もなく強引に物事を肯定してしまう事だと思う
日本では文学でもその美への転換が出来ていないんじゃないのか
個人的にはそういう意味で日本で最も偉大な作家は
村上春樹なのではないかと最近思っている
彼は何の前提もなく美というものを立ち上げた
最近、労働問題から蟹工船が流行ったが
果たして、蟹工船はプロレタリアートから美を作れるか
労働者達を格好良く描けるかというと蟹工船も含め日本の文学では難しい気がする
そして、それが出来ないならジャンルとして死んでいるのではないか
最近、漫画で溺れるナイフと言うのを薦められて読んだら
漫画だとそういうものが成されていて驚いた
近代文学の抱える問題、偉人を描けないというのは
近代文学が内面の文学だからで
偉人は内面を消した、克服した人間だから書けないだと思う
偉人とは考えたけれども行動した人間だから主人公としては描けない
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といった感じの内容だった
そして、飲み会
今回は対談が3時終了なので昼間から酒飲みがスタート
解散は9時過ぎとかなり話し込む
そして、そんな後藤へ石川さんのありがたいお言葉
ブログは出来不出来の差が激しい、また社会問題は創作スタイルに合ってないのではないか
まだまだ考えがヌルイ、もっと抒情的な路線でいけばいいんだけどな・・・
と色々話を聞く。確かに聞いてるとどうも自分の考えはまだまだヌルイと思う
という訳で社会問題は少しだけ自粛しまする
それにしても、メンバーと久しぶりにあったこともあるし
話が面白かったこともあるけど、6時間があっという間に過ぎてしまった
これでも、若干話したりないと思うからこの集まりは面白い
しかし、次回の予定は未定なのであります
対談で良いので開いて欲しいであります
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