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2008年12月

2008年12月30日 (火)

この響きだけが私を、そして私の世界を救う

時節が時節なだけに、聞く話は切ないものばかり
そして、専門家達は来年の見通しが暗いことを語る
ならば、このまま私たちは不幸の底に沈み報われない日々をこれからの長い間過ごさねばならないのか
いや、そんな筈はない。少なくとも無機質である季節の冬風は
今日も去年やそれまでと変わらず無差別に人々を突き刺している

↓Mahalia Jackson Amazing Grace

(一番の意訳(誤訳も含まれていると思いますがご了承下さい)
原文はウィキペディアにありますhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9

Amazing Grace 何て素晴らしい響き

こんな私のような人間までも救ってくださるなんて

私は一度、見失ってしまったけれど見出され
何も見えていなかったものが見えるようになりました


神様は私に畏れることを教えてくれた

そして私に恐れから解放してくれることも教えてくれた

何て時に神様は来てくれたのだろう

私が初めて信じたというこの時に

 


作中の人物は何かによって救われた
それは何が訪れたのか、何故作中の人物にだけ特別に訪れたのか
一個人の中で起きたことを証明する術はない、ならばその人物の勘違いではないのか
その様な問いはこの歌が吹き飛ばしてくれる
この歌われている間、聞く人はとても美しい、人々を救う響きが確かに存在することを質感を持って感じる
この質感が幻であろう筈はないのです

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2008年12月28日 (日)

すこしだけ今年の事を思い返す

今年は去年以上に沢山の出来事があった
良いことも悪いこともあった
状況は特に変わることもなく
好転しているのか悪化しているのかも分からない
そして、今は出来ることをやるしか無く
来年に関しては本当に何も分からない
世の中は世知辛く、悪い話しか聞かず
とても楽にはいかないだろうなとは思う
けれども、絶望的状況という意味では今年も来年も自分にとっては変わらないとも思う

せめて、今年もう慌てるような予定がないならば数日間は心穏やかに過ごしてみよう

↓先日見つけた、ゆっくりな曲

今年の更新はこれが最後になる予定です
皆様、良いお年を迎えられますように・・

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2008年12月27日 (土)

年の瀬

冬の風は冷たく、吹いても吹かれても吹き止まず

後から後から追いかけてくる

かじかむ指先は痛み辛さに耐えようとする程に今年の辛いことを思い出してしまう

暗い夜の帰り道、歩く人たち、帰りを待つ者の居ない人にとってこの時期はなんと寂しいものなのだろう

冷たい風から逃れるようにたどり着いた部屋は冬の風と同じように寂しい

誰もいない場所で、我先にと急ぐように暖房を入れるときの空しさは心身にまで響く

そしてふと思う、それにしても私は何故、生きることを喜べないのだろう

私の体には何一つの不自由はなく、心は穴の開くほどに透き通っているというのに

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2008年12月26日 (金)

だめだ、頭から離れない

先日のM-1、優勝はNON STYLEなのは妥当だと思う
凄く上手かったし、面白かった
でも、後藤はオードリーみたいなのに弱いんだ
弱点なんだ
ここ数日、カスガのキャラが頭から離れないのです

↓オードリー(M-1じゃなくて他の番組らしい)

この暴走しながらの強引にバランスを保つという緊張感がたまらんのです

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2008年12月25日 (木)

先日の飲み会で聞いた話

アジアに旅行した人とかはそのアジアの現地が無法地帯と言うこともあって
ドラッグに浸かっている人たちがいたりするが
芸術にドラッグは有効なのかという議論になって
特に、ヒッピーとかもそうだけど70年前後のドラッグカルチャーは芸術として否定できるのかという話になったとき
小説塾で一番プロに近い人のミ○○さんがこういう事を言った

「ロック的に考えると、ビートルズを良いと思う人はドラッグを否定できないですよね

確かに、その視点で見ると全盛期にドラッグ漬けだったジョンとポールの事を否定できないと言うことは
ドラッグによる閃きを否定できないと言うことになる
そしてそのミ○○さんは

「だから、僕は酒を飲んでから物を書いていますと言っていた

そう言えば、先日も書いたけど
李白一斗詩百篇
なのよね、酒の力は偉大なのかしら
どうせ、答えは出ないけど、藁にもすがるつもりでやってみようかしら

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2008年12月23日 (火)

雑記

とりあえず、無理してモードに入る
このモードにはいると感覚が鋭敏になりすぎて些細なことでキレるようになるので
避けたかったのだけれども、背に腹は代えられないのでモードに突入する

そして、明けて24日はクリスマスイブで我らオタクで毒男で非モテな人々は
ネタブログをしなければならないという暗黙の了解があるのだけども
残念ながらこのモードではネタブログは出来ません
去年、乗り遅れただけに今年は何かやりたかったのだけれども・・・

と言うわけで、毒男と非モテの同志達に送る歌
昔、この時期になるとオールナイトニッポンで福山雅治が毎年歌っていたのを
後藤は思い出します

↓シオン 12月

12月 この頃になると 何かやり残したような やわらかな後悔をする

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2008年12月22日 (月)

感動について少しだけ考えた

抒情的なことを書こうと思うのだが、かなり前からウケを狙うことに重点を置きすぎていて
思考パターンが全然ついてこない、困ったので芸術作品の力を借りて考えてみた

↓ダニーボーイ

名作は理屈を通り越して心をふるわせる
何故、人は感動したいのか
その答えは分からないが、人生には感動という物が必要だと言うことは確からしい
それはお涙頂戴という揶揄的表現で拾える物ではなく
人の心にとって掛け替えのない物なのだろう


↓そして結局お笑いへ

NHK教育で放送していたマペット放送局の吹き替え版は後藤にとっては伝説
内容は多分歌ってたら作品が悲しくて泣いちゃったというオチなんだと思う
あと、細長いのは地声が高いからハイトーン担当らしい

↓もう一つ見つけた

スマパンが出てきたと思ったら、カボチャをスマッシュする怪物だったというオチ

それにしても、精神を抒情的な位置に止めておくのは凄まじい集中力が必要なようだ

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2008年12月21日 (日)

朝日カルチャー 対談 石川忠司 × 桜井鈴茂

休講中ではあるが我らの現代小説塾の塾長、石川忠司さまの対談があった
対談のお相手は現役作家(引退作家っているのかしら・・)の桜井鈴茂さん
内容は石川さんが桜井さんの小説の面白いところをピックアップし、作者本人のその時の書いたときの様子などを伺いながら
面白い小説を書くにはどうしたらいいかという事を考える対談になった

今回の大事なことのまとめ

◎石川さま

つまらない小説は言葉の可能性を消している

人は日常会話では極限られた言葉しか使っておらず
それでは日常的な思考の枠に捕らわれてしまう
大体、日常使われる言葉はこういうものになる

依頼(~してちょうだい)

許可(わかった)

言い訳(~だったからだ)

これらの言葉で9割の日常会話を形成している

そして人間は環境の奴隷であり統計に負ける
人間は自動機械のように9割は環境によって左右され
自分の意志は1割しかない

それ故に、日常=普段の自分中心の考え=ありきたり
から外れなければ感動は生まれない

思考の中心を自分から外さなければならず
自分の意志が入りすぎ、予定調和になってはいけない

そういうロジックから外れるのが小説の機能とも言える

しかし、自分中心がダメだからと言って世界中心もその枠から出ずに日常的になってしまうので注意


小説は逐語的に状況をかいてはいけない
幾つかの情報を同時に処理する和音が大切であり
逐語的な単音の繋がりでは日常的になってしまう

日常 あれやって→いいよ→これやって→いいよ

◎桜井さん

小説は終りを考えて作ってはいない
それよりも、小説は自分で書いていない感じの中で書いている
言い換えるとキャラが居たらかってにストーリーが進むというか
行くべき場所に勝手に進む
自分はそれをひたすら筆記しているようなものだと思う

ただ、上手く行くべき場所に進むには段階段階の納得のいくかみ合わせが
綺麗にはまっていないといけない
途中で軽い妥協を挟むとその積み重ねで作品が歪み、結果大半がつまらなくなる

そのため、自分が書きやすい書き方をしているときは危険でいつの間にか流されていたりすることが多い

そして、文体も同様に、その場に合わせて書くのが良く
狙って文体から書きはじめるのは自分には合わない
遅筆になるが、このやり方は割合うまくいく場合が多い

-----
 
そして、小説は偉人を書けないという話になり
二人が意見を交わす

◎桜井さん

小説は小さな声なき声を表に出すのが仕事だと思う

駄目な人間を書き残すという、世界の最後のセーフティーネットなのではないか

◎石川さま

最近、思ったのはまともな不幸も金がないと買えないんじゃないかという事で
イギリスの本場のパンクは貧乏な人間がそのボロボロのTシャツや生活を美に転換したけれど
日本でそれをすると格好が付かず。結局、山の手の金がある人間が着ることで箔がつく物になった

美とはイギリスの本場のパンクのように
何の前提もなく強引に物事を肯定してしまう事だと思う

日本では文学でもその美への転換が出来ていないんじゃないのか
個人的にはそういう意味で日本で最も偉大な作家は
村上春樹なのではないかと最近思っている
彼は何の前提もなく美というものを立ち上げた

最近、労働問題から蟹工船が流行ったが
果たして、蟹工船はプロレタリアートから美を作れるか
労働者達を格好良く描けるかというと蟹工船も含め日本の文学では難しい気がする

そして、それが出来ないならジャンルとして死んでいるのではないか

最近、漫画で溺れるナイフと言うのを薦められて読んだら
漫画だとそういうものが成されていて驚いた

近代文学の抱える問題、偉人を描けないというのは
近代文学が内面の文学だからで
偉人は内面を消した、克服した人間だから書けないだと思う

偉人とは考えたけれども行動した人間だから主人公としては描けない

----

といった感じの内容だった

そして、飲み会
今回は対談が3時終了なので昼間から酒飲みがスタート
解散は9時過ぎとかなり話し込む

そして、そんな後藤へ石川さんのありがたいお言葉

ブログは出来不出来の差が激しい、また社会問題は創作スタイルに合ってないのではないか
まだまだ考えがヌルイ、もっと抒情的な路線でいけばいいんだけどな・・・

と色々話を聞く。確かに聞いてるとどうも自分の考えはまだまだヌルイと思う
という訳で社会問題は少しだけ自粛しまする

それにしても、メンバーと久しぶりにあったこともあるし
話が面白かったこともあるけど、6時間があっという間に過ぎてしまった
これでも、若干話したりないと思うからこの集まりは面白い
しかし、次回の予定は未定なのであります
対談で良いので開いて欲しいであります

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2008年12月19日 (金)

年の瀬ですね

今日は落語をお楽しみ下さい
数年前に、大晦日に芝浜をやるという企画で放送したものらしいです

落語 芝浜 1of3

落語 芝浜 2of3

落語 芝浜 3of3

この時期に聞きたくなる落語です
最晩年の談志師匠の芝浜は奥さんが賢いからではなく
成り行き上、奥さんはそうするしかなかったというのがイリュージョンなのだそうです
ここら辺は、深いファンにしかわからないかもですが
いつか、他の時期の談志師匠や名人の落語を聞いたときに思い出してください

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2008年12月17日 (水)

思考の飛躍について

名前を出して申し訳ないところですが、今小説塾のMさんが
ここ最近、その才能を開花させ始めたかのように頭が冴えてきていて面白い
正直、夏くらいまでは、Mさんは変わり者という一線だけがとりあえず飛び抜けていて
この人はそういう人なのかと思っていた
けれど、彼が最近勉強を熱心にしているからなのか後藤が交流を深めたからなのか
それまでも、論理的でシャープな意見をよく飛ばしてはいたが
このところは、その精度が飛躍的に上がっている
そして、その経緯を見ているとどうやらきっかけは考えをひたすらに深めたことの結果な様だ

Mさんは始め、変な小説とかもてない男の小説を書こうとしていた
それはそれで、面白いモノは面白いし、それで良いものだが
自分たちの所属する小説塾は何も考えずに創作することを良しとしない所
Mさんは自発的にか強制的にかは不明として
フロイトを読みはじめ、モテたらどうなるのか、人間の欲望とは何なのかということを
ここの所ずっと考えていた
そしてその思考の結果。先日、もてると言うことは万人にとって幸福というわけではないという結論にたどり着いた

この結果を見て、本末転倒で目標を見失っているではないかという人が居るかもしれない
しかし、考えるとはそういう事で
人は、目標という物を初めから明確に見ることは出来ないものなので
目標が質感はそのままに別の形になってしまったのだとしたらそれはそれで良いと思う
そして多くの人が自らを成長させることが出来ないでいる大きな原因のひとつに
間違いなく、この、目的の形にこだわり目標を持ったときの質感を無視して考えてしまうという人の性質がある

人は記号を必要とし、それをよりどころに物事を形作る
けれど、それはたまに一つの固定的な概念として足かせになることもある
今まで自分の信じていた枠から離れることはとても怖いが
そういった考えのままでは大事な閃きを取りこぼしてしまう

今回のMさんの思考の展開はその良い例だと思い、そしてここに書き留めておきました

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2008年12月15日 (月)

雑記と、他人のブログのコピペ

前回のカフカの事を書いた文章があまりにも酷いので後で読んでショック
これでは何を書いているのか分からない

そして書こうとしていたら、何故か事故ってブラウザが保存前に閉じてしまう
神様、これはヤバスギルから書くなと言うことなのですね・・・

仕方がない、かみポンにパタポンは逆らえません
胸の中にしまっておきます
どうしても聞きたい方は、20日の石川さまの対談の後にでも後藤に聞いてください

個人的にお気に入りの漫画家の新作が連載開始して嬉しい
その人の絵のセンスが凄く好きで、格好良かったから売れないかなぁと期待してたら
少年誌ではウケが悪く、流行に乗れなかった、そして今回も乗れないと思う
前作、ムヒョとロージの魔法律事務所はその魔法律が格好良すぎて
一、二巻と感動していたのだけどバブルな展開について行けず崩壊
ジャンプの漫画が抱える呪いにやられてしまいました・・・
今回は、渋くポジションを手に入れて小さく続いて10巻くらいで綺麗に終わってください

そして、面白いブログはすぐにコピペしてしまう後藤クオリティー(他人のまわしで・・
↓内田樹さまのブログから
http://blog.tatsuru.com/2008/12/15_0853.php

↓引用
あらゆる社会的格差は「金の有無」によって生じているという社会理解はそのまま「金の全能性」についての信憑に帰着する。
「金さえあれば何でも可能であり、金がないと何も成就しない」
それがメディアが過去30年ほど無反省に垂れ流してきたイデオロギーである。
しかし、私の見るところ、実際に起きているのはこのような「金の全能性イデオロギー」に対する耐性の弱い家庭に育った子どもほど学びの意欲を損なわれ、学力を下げているということである。
社会の上層を占めている人々は実際には「金ですべてが買える」と思っていない。むしろ、「金で買えないものの価値」についてつよく意識的な人々が日本では階層上位を形成している。
彼らは人間的信義、血縁地縁共同体、相互扶助、相互支援といったものが質の高い社会生活に必須のものであるということを知っている。
それが直接的には階層上昇のための「ツール」だから必須であるのではない。
それらは端的に「生物として生き延びるため」に必須の資源なのである。

↓更に引用
私たちの社会で急速に進んでいる階層化は、「『金の全能イデオロギー』に対する耐性」の強弱によって決定されている。
人間の価値はさまざまな度量衡で考量しうると考えている子どもは、簡単には「学び」を拒否しない。
それは「学び」のうちには、「そうするといくら儲るか」という以外の「ものさし」をあてがうことでしか発見できない喜びや楽しみがあることを、そういう子どもたちは知っているからである。
「学び」の場において「学ぶことはいくらの儲けになるのか」だけしか問わないような子どもたちは学ぶ動機そのものを腐食させてゆく。

毎度の事ながら後藤の価値基準は理論の正否よりも面白いか面白くないか
言い換えればピンと来たか来ないかの基準で物を語っています
これは普通の学問の人間なら許されない話ですが
後藤は文学つまりフィクションから現実へアクセスする人間なので
その辺はアリだと思っているので、この手法もアリだと思っていたります
なので、内田さまの言っていることに何を根拠にと反論する人が居ても
後藤は、根拠なんてそもそも人間が拾い上げきれるものじゃないからあってもなくても大して変わらないジャン
と思ったりします

ただ、自分の面白いと思うアンテナだけは鈍らないように気をつけなければいけませんので
そこだけは努力を欠かさないのであります
アンテナが鈍って変な事をし始めたら、後藤は本物のクルクルパーに出来上がってしまいますから
そこはサボりませぬ

と、本文について何も語っていなかった
とりあえず、どうすれば人が金の全能性への信仰をやめるのか
凄く、大事な問題なので参考にさせていただきます

↓そして更に、引用
私はそれからNHKのお正月番組の打ち合わせ。
タイトルはどうしましょうかと訊かれたので、「変わるな!日本」というのをご提案する。
「いいじゃん、このままで」というのが私の最近の万象についての基本姿勢なのである。

これは、ほっといても何か起こる状態だから
このままで大丈夫という意味ですね。分かります

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2008年12月14日 (日)

滅裂な雑記

カフカの不思議さは悪夢のような質感のくり返しなのだと思う
その不思議が何故リアリティーを持つのかというと
きっと、その質感が全体を通してブレがないからだと思う
とは言え、カフカを下手に語ると怪我をするのでこの辺で終了

年の瀬、忘年会が方々でいっぱいあり、後藤もいくつかに参加する
年忘れっていうけど、忘れたいことなんだろうと思って一年を思い返してみると
ああ、今年も色々あったんだなぁと思う
そして気がつく、忘れるには思い出すもついてくるじゃないか
そっちの方が重要なのではないかしら

寒いのは苦手、さっさと過ぎてほしい
リア充が年末大忙しらしいけど、リア住は年明けから檀家さんに囲まれて忙しい
というギャグを思いついた
・・それだけ

予想通り、今回のガンダムがつまらなすぎてショック
しかし、ここまで見たら、一応最後まで見ないといけないオタクのサガ・・・
来期はハガレンを原作を踏襲してしっかりアニメ化してくれるらしく絶対面白いからそれまでのガマン

本読まないのなら買わない方が良いと怒られる
その通りだと思う
でも、気がついたときに買っておかないとと思い、また積み本が増える
ここ最近、良いペースで読書できているけど
読みたい本が減ることは全くない
良いことだけど目が回りそう

そういえば、長らく小説を読んでいない
すごくやばいような気がする・・・今回はこんな雑記

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2008年12月13日 (土)

未来への雑記

これだけ絶望的な情報の飛び交う世の中のに
最近、強い希望の力学を感じる
もしかすると、大いなる変化の兆しは幻ではなく
新時代は本当に来るのかもしれない

ひとつ分かったことがある
麻生総理は本気だ
本気で、自分に能力があると思っていて
本気で、自分の政策が世の中を良くすると思っているようだ
そう、だから人間は恐ろしい

消費税の引き上げも医療費の負担の増大もすべて彼は世の中をよくするために実行しようとしている
そして、そのアイデアは自分で考えていると思いながら間違いなく取り巻きの甘言を鵜呑みにして自分の政策として提示している
これは簡単な図式だ
もし、後藤が貧困層の人間ではなく富裕層、もっといえば財閥の重役だったら
麻生総理のもとに出向き、なるべく自分達の都合の良いように政策を行ってもらう算段を立てる
手段としてあまりにも姑息だが、さすがにこれはどうしようもない
手段として有益すぎると言うことは
この手段を選ばなければ他のライバルにその手段を譲ることになる
だから、そうしなければいけなくなる
そして麻生首相に届く意見は偏ってくる

きっと、今までもそうだったのだろう。しかし、自民は組織として破綻し始めていることに国民の幾人かは気がついてしまった
だから、麻生首相がどんなに未来を熱弁してもどこかに空しさが漂う
敏感な人は、この何かの終焉を感じさせる匂いを感じ取れているかと思う

話が変わるが、カフェ・ヒラカワさまのブログがまた面白かった
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200812120000/

↓引用
会社の利益なんていうのは、ある程度の規模の会社ならリストラをすれば出せるんです。でもリストラすることがいいことなのか。むしろ会社は利益なんか出さなくてもいいから、まずつぶさない。それから雇用を確保するということが一番大事なんです。つまりどれだけ多くの雇用を確保したまま存続していけるのかというのが社会的なミッションなんです。

そもそも、共同体とはよりよい生活を皆で送るために創設されたはずだ
なのに、ある程度大きくなった会社はつらくても会社を大きくする方向性を優先する
従業員の幸福とか、もちろん多忙な社長の幸福とかはそこにはない
そこには自社の株価を下げてはいけないという呪いがある
それ故に、人々は無理して走り、そしてその無策とも言える運営の結果、人々は悲劇を良しとする


後藤には
幸福を否定する人たちといるとどうもしんどくなって
つきあいを減らしていくという習性がある
幸福を否定する人たち
その人達にしてみると現代に生きることはとても辛いものなようだ
浮世離れしすぎた後藤にはそういう一般論は良く分らないが
特に後藤の世代には世紀末思想もあって、悲観主義者はかなりの数が存在した
そしてその人たちは共通の力学を持っている
人生は辛いという幻想を皆で共有しなければならないという力学だ
もし、世の中に幸福になり得る人生が存在するならば
世界が悪いのではなく自分が悪い、もしくは運が悪かったという結論になってしまう
だから、それ故に、ボンヤリしている後藤のような人間が居たらその人たちは後藤をその幻想の中に取り込もうとする
最近では随分減っては来たが
後藤の見てきた、底辺労働者達にはその幻想を強く持っている人たちが多い
確かに、多くの借金を抱えた借金を返すために働くという生活は
とても前向きにはなれないのだと思う
しかし、だからといって幸福の否定をすることは人生の大事な一部を失うことになるのではないか
これは幸福を肯定しろということではなく
幸福の否定から始まる人生は、幸福である物から目をそらすように生きる人生は
苦しさとか悲しさとかくらしか残っておらず、とても非生産的になるので
そういう生き方をしてはならないということだ

人生は永遠ではない、しかし目の前の時間は無限のように感じる
幸福の否定の上に立つ、無限のような時間には一体何があるのだろう

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2008年12月10日 (水)

強い雨とある昼下がり

昨晩から強い雨が降る
だからだろうか今日は真冬にしては少し温かい昼下がりだった
シンユリの駅前には役所から来ているのか
交通安全のタスキをかけている楽団が
管楽器でマーチ風にクリスマスソングを演奏していた
そこを人が足をとめて集まってくる
自分も足をとめるとその輪の中心にはどこから呼んだのか
謎のゆるキャラきぐるみがいた
手足がついたみかんの顔をキカイダーみたいに半分ずつ紅白にした謎の生き物
たしか、川崎は岡本太郎デザインのシンボルマークがあるし
神奈川のかなべえは宮崎駿デザインで
中々デザイナーに恵まれてるとは思っていたのだが
世間の流れには勝てずゆるキャラを作ってしまったのか
まさか戦隊もいるんじゃあるまいな

と思って眺めていたが
ゆるキャラの人気はかなり高く
子供が近寄り、そのお腹なのか顔なのかのみかんの本体を手でさすって喜んでいた
そういえば、昔、デパートの屋上のゲームセンターバイトしていた女の子が
何かのイベントでドキンちゃんの着ぐるみを着させられて仕事していた時
急に
アンパンマンをいじめるなぁ!
って腹にマジパンチを喰らって泣きそうになったと言う話を聞いたことがある
もう完全に掴むことも想像することも出来ないが
この目の前のゆるキャラは子供たちにとっては実在する生き物として捉らえられているのかもしれない
と考えると、酷いデザインをして街の景観を乱したデザイナーの仕事も大したものなんだなと思えてくる

天は高く、日は澄んだ空を一直線に心身へと注がれる
そんな昼下がりの一時を過ごした

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2008年12月 9日 (火)

面白いクルクルパーの話

何だか最近、何が面白いのか分けが分からなくなってきたので
今回はやりたい放題やります
身内の方はドキっとしないでください
この話はフィクションです

最初に反省、後藤はクルクルパーというものを舐めていた
後藤はクルクルパー界でも全国レベルではないのかと自負していたけれど
無念、自分の行動範囲=神奈川県、東京都内ですでに兜を脱ぐことになるような人と出会いまくるとは!

まず、最初のヤバイ人
飲み会の席で、男性用ブラが売れてるって話をしたら
何故かは知らないが女性に恨みを持っている女性が
何で?
って不思議そうに言うので
付けてる人は優しい気持ちになれるんだってぇ
って笑って話してたらその女性何故かちょいギレ

('Д')でもさー、ハッキリ言って男って女に比べると優しいんだからブラなんか付けなくてもいいんじゃないのかなぁ

今回の間違い探し
その1
優しい気持ちになれるということと、本来やさしいと言うことは関係ない
(一応つけなくてもいいって言っているところが救いか!)
その2
女性は優しくないという発言をするということは
その優しくない対応をされた発言者の女性自身もその対象になり

自分も含めて女ってホント優しくないよねぇ

って言ってるヤベー発言なのか
もしくは

自分は例外だけど女ってホントに優しくないよねぇ

と言う、自分は女性の中でも特別種だというヤベー発言になる
(例外は複数居たら例外でなくなるので、優しくないが女性の根底にある論理だとすると優しい女性はこの世には極々一部ですら存在してはならない。つまり、優しい女性は女性以外の何かの混種となる)
間違いその3
男性は優しいは男性の本質なのか
男性が女性に対する態度って男性が男性(同性)に対する態度と違う気がするのだが
どうもそこは勘定に入っていない様子

とりあえず、本能が危険と悟る
こういう人からは怪我をする前に逃げるが正解なのだと思う

 
 
そして、そんなのは序の口、我らが小説塾の隠れメンバー
真性のクルクルパーことサハラ氏
今日見たら検索ワード一位に返り咲いていたので
今日はそういうファンの為にサハラ氏のクルクルパーな所をしっかり紹介

先日、読書会でサハラ氏に会った
けれど、彼は読書会に来たは良いけど
読書会で取り上げられていた本は少しも読んでなかった
一同ビックリして何で?って聞いたら

「あ、あの、疲れていたから・・・

と謎の言葉を喋る
そして仕事で疲れていたのかな?とそれも聞いてみると

仕事は体が参っていて今は休む時期だ
というまた意味の分からないことを言う

この断片での間違い探し
サハラ氏はどうやら仕事をせず、家にいるだけで疲れることがあるらしい

で、その後、居酒屋で打ち上げでもしようかとなって居酒屋に入る
そこで、色々と不可解なことが多いので話を聞く

何で読めなかったのか?

サハラ氏が言うには
疲れていたから、外見では分からないかもしれないが
頭はクラクラしていて大変なことになっているんだ

と、自分は病人であると言うことを主張

この断片での間違い探し
これは、もう自分を健常者として扱わないでくれ
つまり、腫れ物に触るように接してくれってことかしら
それって対等な立場では見ずに、可哀想な目で見てくれって事かしら・・・

そして、そこからサハラ氏の変態トーク爆発
ハッキリ言って、オタクの後藤としてはここまでの真性の変態に会うことはまずないので
少し感動する
(オタクの人ってある程度のコミュニティーに入っていると、変質的な危険性は無くなってくる物なので・・・)

まず、メイド喫茶に言ったときの感想

女の子がメイド服を着ていて凄く可愛かったので縛り付けてやりたくなっちゃった
と楽しそうに話していた

この断片での間違い探し
・・はない、むしろ真性の変態でFA

そして、最近、二十前後の女の子にお熱な事について聞いてみた

だって、同年代と恋愛すると人妻しか相手が居ないじゃないか、当然だよ!
と、嬉々として喋っていた

・・こ、この断片での間違い探し
一応、後藤は40過ぎてそれはマズイのではと言っておきましたから!
あと、犯罪はしないように言っときしたからね!

そして、一日経って、ブログに読書会の事を書いたから読めと某SNSで言ってきたので
読んでみたら
サハラ氏は後藤達を締め上げたかったのだそうな
だから、本も読まずに読書会に来たって事かしら
戦うつもりで来たって事かしら・・・
出来ればそういう事はゴメンこうむりたいです
あと、クルクルパーでは負けを認めます絶対に敵いませんです、ハイ

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2008年12月 8日 (月)

ユング、「ヨブへの答え」読書会 二回目

日曜日、ヨブへの答えの読書会 二回目
今回から本編に入り、本格的な読書会の雰囲気になる
そして、自分の読解力の足り無さと参加者それぞれの解釈の違いが存在すると言うことに驚く
哲学の名著の読書とは内容の吟味の前に書いてあることの意味を読解する作業が必要になる
それは哲学科の人たちには当然のことだろうけど、ある程度の読解力がある人が集まっても
解釈の違いが出てくると言うことは後藤には予想できなかった
後藤はてっきり、ユングの意見の賛否の話になり、内容の読解には重きを置かれないと思っていたが違った

また、ユングのキリスト教徒としてのヨブ記の読み方とユダヤ教としての読み方の違いも疑問として立ち上がり
いろいろと課題の多い、読書会になる
そしてそれを後藤は後藤で神話の由来みたいな視点で読み解こうとするからもう分けが分からなくなってくる
次回のレジュメは後藤が担当するけれど、どうなるのか今のところさっぱりわからない
とりあえず、体験としてはとても貴重な体験だった
真剣に物事を考える仲間というのは掛け替えのない物だとも思った

そして、内容に触れておきたいところなのですが、やるべき事が山積みなので
今回はこの辺で失礼します

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2008年12月 6日 (土)

信じるしかないのだと思う

下請け会社に厳しい圧力がかかっているのを自らの目で見る
今、社会は大きな変化の途中にある
そして大きな変化の際、ないがしろにされるのはどうしても弱者になる
これはどうしようもない
過酷な依頼、経費の削減の要求
倒れる者も少なくないだろう、そして国が彼らを助けることはないだろう
目の前に幾つかの絶望がある
しかし、それと同じようにこの変化の兆しはともすれば新時代の幕開けになる

↓偽日記さまから
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20081202

↓引用
この二十年で、世界は(日本は)、経済的にはまったくの別物のように変化してしまったんだ

貧富の差は数字として表れている、そして後藤の周りにいる貧困層の人々
後藤が人々を見て確信したのは
そこにあるのは才の差ではなく、運の差だということ
多くの人が至らなさではなく、不運によって割を食わされている
確かに、これが人生の厳しさと言えるとは思う
しかし、その正論をその苦しむ人たちにどうやって言葉にすることが出来るというのか
その言葉は果たしてその人たちの心に救いになるのか
それはどだい不可能な話だ
ヨブ記のヨブは神の圧倒的な理不尽さに諦め敗北を受け入れたとき
神は、そのヨブをゆるし救いの手をさしのべた
恐らく、古代の人々がこの神話を教訓としてのこしたのは
神の理には諦念でしか応じることが出来ないと言うことだろう
人生は諦念を手にしたとき、他からは何も与えられなくとも自らの中から多くの物を見つけ賜ることが出来る
もしかすると、それだけが多くの困窮している人々を救うのかもしれないが
しかし、それなりの人物であったヨブでさえ手にするのに難儀した諦念を
多くの平民に強要するのはあまりにも非現実的だ

↓内田樹さまから
http://blog.tatsuru.com/2008/12/03_0905.php

↓引用
さっそく麻生内閣の今後について予測をする。
麻生首相は近い将来にまた舌禍事件を起こすか、政策上の食言を犯して、メディアの袋だたきに遭い、自民党内部から「麻生おろし」」の動きが始まる。
麻生首相を「選挙の顔」で解散総選挙となった場合に、自民党が歴史的大敗を喫することは明らかだからである。
麻生太郎のあとに与謝野馨が選挙管理内閣をワンポイントで担当する(その方が「負け方」が少ないと古賀誠が判断するのである)。
もちろん自民党はそれでも大敗する。
けれども民主党もそれほど圧勝というわけではない。
政局は一気に流動化する。

内田さまは自民党の敗退を予想屋として予想する
そしてそれは大きな変化に繋がる
結果はどうなるかということを置いておけばこれは希望と言えるのではないだろうか

↓更に引用
予測には「予言の遂行性」というものがあり、「これから世の中はこうなります」と誰かが自信たっぷりに断言すると、それを聴いた人たちが「へえ、そうなんだ・・・」と信じ込んでしまって、なんとなく「そういうふう」になる下地が出来ちゃったりするのである。
だから、世の中が「こういうふうになるといいな」と思っている場合には、「こうなります」とフライング気味に断言することは黙って予測だけしているよりも予測の実現の蓋然性が高まるのである。

だから、後藤はこの予想にのって
その遂行性を高めようと思います
民主の皆様がんばってください、新百合の駅前でいつも演説している
笠ひろふみ氏、影ながら応援しております

↓カフェ・ヒラカワさまから
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200812030000/

↓引用
いま、多くの工場に仕事がまったく回らなくなっている。
好況は最後にやってくる、不況は一番初めにやってくるという町工場
のいつもの風景だが、今回の不況はかつて経験してきた単なる景気循環のなかの
不景気とは全く様相が違う。
世界的に推進されたグローバリズムという収奪システムの
ひずみが、もっとも先鋭的に現れているのである。
職人たちは、この不況を百年に一度の厄災として、
じっと我慢して倹約と忍耐で乗り切れるところまで乗り切ろうとしている。
しかし、この先、この環境が好転する見込みは
きわめて薄いといわざるを得ない。
景気循環ではなく、生産システムそのものの断絶がある。

↓更に引用
その代償がいま、たとえば大田区の町工場を瀕死の状態に
追い込んでいる。
そのつけは、国内から貴重な生産拠点が失われてゆくという結果として
あらわれるだろう。
失われたものは二度と戻ってはこない。
この光景を見るのは、大変に辛いことだ。

後藤もそんな光景は見たくない
だから、予想の遂行性を信じ
つまり、世界が変化し良くなると言うことを予想し明言することにします

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2008年12月 5日 (金)

飛び立つ

巣立ちの日は孤独に

小鳥は大樹の上から大地を眺める

果てない地平、草原と木々

野をかける獣、群をなして飛ぶ鳥

それはまるで果てない新世界のよう

けれども孤独な小鳥

半刻ほど前、親鳥たちはどこかへ行ってしまっていた

ああ、小鳥はひとりで飛べるだろうか

いや、要らぬ心配はすまい

小鳥の体には短くない月日をもって蓄えられ

親鳥達から賜った大きな力があるのだから

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2008年12月 4日 (木)

雑記

様々な場所で多くの方々に教えを請い
そしてその教え賜ったものを広げ並べるように整理し
その教わる先生達の背景に綿々とつらなる賢人達の歴史をかいま見ると途方もない気持ちになる
自分は後どれ程の月日、年月を費やせば、あの綿々たる知性に触れることが出来るのだろうか

漢詩の先生、荘魯迅さんにこれほど中国人の心を理解している漢学者はいないからと
吉川幸次郎の本を薦められ、とりあえず入門として「中国文学入門」を帰り際のその足で買い
電車の中で読む、毎度の事ながら知って恥じるのは己の無知となる
また、それと一緒に宮崎市定の「中国に学ぶ」というエッセイ集のようなものも買う
これもまたパラパラとめくると知に溢れている
賢人の知はまことに畏れ多い

週末の読書会にむけてユングの「ヨブへの答え」を少し読む
今月は年末と言うこともあってか久々に会う人が色々と居る
それまでに少しはまともな思考状態にしなければ

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2008年12月 1日 (月)

普通の雑記

とうとう、本格的に面白いことを考えられなくなってしまった
そういう時に限って不調に追い打ちをかけるような出来事がある
そして久々に思いだす、自分はほんの一部の人にしか受け入れられない人間で
とても幅広く理解される人間ではなかった
だから、こじんまりとした生活を始めて世間的な物から離れて暮らすことを選んだのだった

深い病理にとらわれている人に会った
日々の抑圧が精神に強迫観念を持たせ
他者の意見は自分を攻撃する物だという認識があり
そして、姿勢が意識せずに防衛本能から攻撃的になっていた
長く、俗世間を離れてるので忘れていたが
社会は人の心をすり減らすという側面も持っていたなと思う

そして、自分は未だに攻撃的な人に対するときの手段を持っていないことに気がつく
だから、自分はそうして世の中を避けて暮らしていたのかと思い出す

社会で生きていくためには自分を変えるのか、それとも社会を変えるのかというような理論には興味がない
仲間達のコミュニティーで楽しく暮らす小社会を多様性を持って増やすことが重要だと思う
そして、それは草の根運動をするしかなく
後藤はそのようなコミュニティーを形成ししているリーダー的人物には無条件で敬意を持つ

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