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2009年6月18日 (木)

環境描写の過去と現在

思うところあって童謡集を聞く、そしてまたその風景描写に心を打たれ
さらに、現代の都会人には想像することの出来ないその世界観に唖然とし
そのことの不可解さについて考える

少し前まで風景描写は自然との闘争とその相手への賛美だった
時期が旬ではないが、早春賦を思い出してもらうとよく分かる

春は名のみの風の寒さや 谷のうぐいす歌は覚えど
時にあらずと声も立てず 時にあらずと声も立てず

(春は名ばかりにまだ風は寒く、谷のうぐいすは歌の練習は済んでいるのに時期がこないので歌うことが出来ない)

これは自然環境の厳しさを、つまり冬の寒さをに対する心を
谷のうぐいすが歌うことを待ちこがれる様として描いている
これぞ自然との闘いと言えないだろうか、生き物は過ぎゆくことを待ち耐えている

この描写には自然環境は抗えないものとして存在してる
そして、その環境を戦う相手として賛美しているかにも見える

それが現代の都会、人工建築物に囲まれた世界ではどうか
引用文が見つからないので手習いの文章を書いてみる

ビル風は建築物にこすれ合うほどに強く私たちに吹き付け
車は走り、煙を上げれば上げるほど雨は刺激となって私たちに降り注ぐ

現代の人々にこの情景描写はかなりリアリティをもって受け取られるのではないだろうか
そして、これが狙い通り、リアリティを持って受け取られたならばこういうことが言える

それは、現代人は責任転嫁の思考が心身の根底に根付いているということだ

書いた本人が実感として思うのは
現代の環境、つまり建築物だらけの風景は誰もが人工物であるということから
誰かが作った、つまり何らかの意図がそこにあったという事を感じる
しかし、感じるがその環境は優しさ(=利便性)よりも厳しさばかりが目立つ
すると、その意図を含んだ厳しい環境は暴力として認識される
暴力と言うことは不条理な損害をこうむるのではないかと人々は思う

そしてこの思考は現代の人々の根底に根付き
人々に犯人捜しを推し進める
単純に言うと、若い者は過去の人々の失敗を恨み
老いた者は変わろうとする人々を叱責する
貧乏人は金持ちの欲望を非難し
ポストを持つ人はシステムが無能な人々によって滞っているという事を考える

自我の肥大の行く末、責任を背負わない故に自己承認不足の人々を生む
これが動物化した社会だというのだろうか
識者の多くが言うように動物は人間に戻ることは出来ない
これもまさに終末的で絶望的だと言える

↓画像の猫はナゾのまま早春賦の合唱

春と聞かねば知らなかったのに、聞けばせかされる胸の思い、どうしろというのかこの時を、どうしろというのかこの時を(3番、現代訳)

↓おまけ、スペース的に駆け足で「冬景色」

一番、霜が空からの圧力のように空間に重しを乗せ人々の目覚めを拒む
二番、麦を踏む(詳しくはグーグルで)、霜柱を踏んだり、麦の発育を抑制するのは自然環境との闘争、もっと軽く言うならば環境を整える行動、そして小春日=冬なのに暖かい日がまれにやってきて、返り咲き=季節違いに咲いてしまう花は季節への反抗
三番、圧倒的な暴力である嵐は日の光をさえぎり、やがて夜になるが、それでも人家の灯火は仄かに輝き、人の勢力の健在を示す

更におまけ、冬だけだと偏っているので一応他の季節のものも
↓夏は来ぬ
http://www.youtube.com/watch?v=nZVL2nQeK-w
待ちこがれている夏の風物詩が一つ一つ姿を現し高揚しはじめた気持ちを歌っている歌
↓朧月夜
http://www.youtube.com/watch?v=sW_p_HdY94Q
日が暮れ、霞が辺りを包むが、その全てを月が淡くてらしている(優しい月の支配)と歌っている歌
↓紅葉
http://www.youtube.com/watch?v=PubOlYFQ4eM
秋の訪れは山の姿をみるみるうちに変えさせる、その不意に訪れる変化に圧倒されている歌
↓旅愁
http://www.youtube.com/watch?v=1dMcEjo8Xpg
伝統的な表現技法。秋によって寂しさを喚起させられたという歌、何故秋がこれほどまでに人の心を立ち止まらせるのかは書ききれないので割愛


迫り来る自然を、またそれとの戦いを人々は賛美している
現代に迫り来るのは特定できない他者からの暴力になり、非難するものなってしまった

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コメント

過去と現在の比較対照がフェアでないと思います。
もしかして先に結論ありきなのかな?
興味深い対象だし、私も昔の歌の自然描写は感動的と思うので、
もう少し練り直してプレゼンテーションしていただけたらと思います。
あと、猫カワエエ。神設計。

投稿: ぽん太 | 2009年6月19日 (金) 18時22分

>過去と現在の比較対照がフェアでないと思います。
確かに名作と対等に比較できる名文を用意するべきだとは思ったのですが
自分の思いつく範囲で見あたらないので(また、身内に助言を求めて資料をそろえるほどの事もないと思ったので)自分の手習いの文章で代用しました
これは後藤の文章力の欠如なのでどうしようもありません

また今回のブログエントリーは

「そして、これが狙い通り、リアリティを持って受け取られたならばこういうことが言える」

この箇所の共感のみに成り立っています
この箇所、つまり後藤の文章にそれほど意味合いを感じなかったならばその後の文章は意味を成しません
もし、読まれた方の中に共感を持った方が居たならばリアリティを持って今回の箇所を考えていただけたのではないかと思っていますが
その方が居るのか居ないのかは自分では分かりません

>もしかして先に結論ありきなのかな?
これは結論ありきと言うより、最近創作行為をしていて感じた矛盾を自分なりにまとめたものです
なのでこういう結論に導きたくて書いたと言うよりも
どうもそうではないだろうかと直感的に感じたことをまとめたものです
僅かな違いですがそういう契機で書きました

どうも、後藤のブログは技量不足と手間を惜しむせいで独断的と捉えられるしかないようなことも多いと思いますが
突拍子もない内容に批判的視点であっても何か考える機会を作れたらと思います

投稿: 後藤ゆたか | 2009年6月19日 (金) 19時05分

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